たまりば

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Posted by たまりば運営事務局 at

2010年05月25日

★柴崎でとんかつの美味しいお店★

地図はこちら
★最近、また行きましたので再掲載してみます。(水曜定休です。)

★夢灯りは自家製味噌漬け豚ロースが人気ですが、、、。

★柴崎の深大寺通り商店街のとんかつ竹一を見つけました^^。

★夢灯りで聞いたと言えば、何かサービスありますので、、、。
 ランチはコーヒーがサービスです^^。

★参考URLは下記よりどうぞ。
http://gourmet.livedoor.com/restaurant/314206/

是非一度、ご試食あれ!★

  

  • Posted by Ninja T at 19:06Comments(0)美味しいお店

    2010年05月24日

    ★心房細動の治療★

    ★心房細動の治療法★

    心房細動という不整脈そのものが生命に直接かかわることはそれほど多くないのですが、心房細動による二次的な症状(血栓による合併症)が大変危険なケースになる場合があります。心房細動は放っておくと気づかないうちにリスクが高くなる不整脈なのです。
    心房の前方に「心耳」とよばれる部分があります。ここは血液の流れが比較的ゆっくりで、心房細動が持続すると、もともと固まる性質のある血液はこの心耳で血栓(血液の塊)になる可能性があります。
    「心耳」は右心房にも左心房にも存在します。右心耳にできた血栓が流れてしまうと肺塞栓を、左心耳でできた血栓が流れてしまうと脳梗塞や動脈塞栓などを引き起こす要因となります。早期発見、早期治療が望まれます。
    また、心房細動の発作を停止させる方法はいくつかあります。

    ①薬剤を使用して自然に発作が止まるのを待つ
    心拍数を少なくする薬剤を使用して自然に停止するのを待ちます。発作時間が短ければこの方法で停止する可能性が高くなります。

    ②電気ショック(DCショック、直流通電)
    全身麻酔を行い、電気ショックをかけて停止させます。発作時間が長くても非常に迅速で効果が高いものです。意識下では苦痛が大きいので行えません。

    皆さん、健康が一番ですね!  

  • Posted by Ninja T at 17:39Comments(0)健康一番

    2010年05月11日

    ★第三段★

    特集●それでも牛乳飲みますか?

    牛乳は「完全栄養食」か?

    「不完全栄養食」か?

    お乳にサヨナラできない異常な習慣を見直すための8つの原則

    古宮暁真(こみや ぎょうしん)医事評論家、食養研究家

    牛乳礼賛の食の洋風化が、日本人の体質をダメにすると説き続けて数十年になる。少しは、"牛乳信仰"の妄信にブレーキをかけることができたかと思っていたが、「雪印乳業事件」の波紋に、牛乳を飲まずにいられない人達がいかに多いかを知って、改めて悪習の弊害というものを痛感した。

    原則その1

    全ての乳は不完全栄養食
    「牛乳は完全栄養食」説は、自然の摂理に反する妄(もう)説です。
     牛乳に限らず、母乳でも何でも、哺乳動物の全ての乳は、不完全栄養食です。世に「牛乳は完全栄養」という説が流布していますが、これほど人を誤らせる妄(モウ)説はありません。自然の摂理に反する冒涜(ぼうとく)とさえ言えます。

     牛の乳だから、モウ説だと洒落(しゃれ)て言うのでは決してありません。このことをまず最初に提起しておきましょう。

     と言いましても、まさかと思う方がほとんどだと思いますので、以下順を追って、その誤りを解説したいと思います。

     人間を初め、牛でも、馬でも、ライオンでも、鯨でも、全ての哺乳動物の乳は、乳児の消化機能が不完全、不十分な期間の『代用食』であって、かつ『不完全栄養食』なのです。

     不完全栄養でありますから、全ての哺乳動物の赤ちゃんは、消化機能の発達に伴って必ず離乳期を迎え、お母さんのお乳にサヨナラして、本来の食性に向かうものです。親が食べる物と同じ物を食べるようになって、乳児期を脱皮するのです。お乳にサヨナラをするからこそ、望ましい成長が期待される訳です。

     ですから「母乳を止めたら、牛乳を飲もう」というテレビのコマーシャルなどは、売らんかなの、許し難い煽動(せんどう)的な暴挙です。

    原則その2

    牛乳だけでは育たない仔牛
    仔牛が母乳を止め草食に移行するのには訳があります。

     私は「牛乳は完全栄養」という迷信を打破するために、次のような実験を試みようとしたことがあります。

     北海道の酪農家に知り合いがあるのを幸いに、生まれて来る仔牛を一頭買い求め、餌代(えさだい)や飼育管理などの費用は、当然負担するからと、私の実験の協力を依頼しました。その実験というのは、別に難しいことではありません。生まれた仔牛には、母親牛の母乳だけを与えて育てること。ただし、草は一切食べさせないで、どのような成長過程をたどるか、その実験に協力して下さい、というものでした。

     さて、結果ですが、私が実験協力者の選択を誤ったために、この実験は沙汰止みになってしまいました。

     実験を頼んだ方が、心優し過ぎた方だったため、長年の経験がそうさせたのでしょう。そんなことをして、果たして赤ちゃん牛は大丈夫だろうかと、私の依頼を一旦は承諾したものの、その後で不安に思ったんだそうです。

     そこで農協の獣医さんの所に行って、そのことを話しましたところ、その獣医さんいわく、
    「バカなこと、止めろ! そんなことをしたら、コッコ牛、半年ももたん!」と、頭ごなしに叱(しか)られたそうです。

     そんなことで、牛乳による仔牛の栄養失調死を予想する、残酷を承知で試みようとした私の実験計画は、残念にも挫折(ざせつ)し、失敗に終わってしまいました。

     しかし、この獣医さんの一言で、「牛乳だけでは、仔牛は育たない」という、確たる証言が得られ、牛乳は、仔牛にとっても完全栄養ではあり得ないことの証明になりましたし、私にとっては、仔牛の購入代金と飼料代、及び飼育手数料が助かったことになりました。

     牛の赤ちゃんにとっては、母親牛の乳ほど、理想的な栄養はないはずです。しかしその理想的というのは、母乳に頼らざるを得ない乳児期の間だけのことであって、ある程度成長して、消化機能が発達した段階になったら、本来の草食に移行しなければならない性質のものだったのです。

    原則その3

    母乳が不要になるのは神の恩寵(おんちょう)
    母乳を飲まなくなるのは悲劇回避の自然の摂理です。

     全ての哺乳類(ヨーロッパ人や、砂漠周辺の人々を除く=後述)の赤ちゃんは、牛でも、馬でも、象でも、虎でも、ライオンでも、離乳期を過ぎると、お乳が飲めなくなり、また飲みたくなくなるような体の仕組みになっているものなのです。それが自然の法則です。

     動物の乳は、人間の母乳をも含めて、その主たる栄養成分は、乳糖と、カルシウムと、タンパク質です。この三大栄養素の内、多糖類の乳糖だけは、消化のし難い糖で、ラクターゼという特殊な消化酵素が腸内にあって初めて、消化吸収される栄養素なのです。

     このラクターゼは、全ての哺乳動物の新生児の腸の中に存在しますが、離乳期を過ぎてお乳の必要がなくなりますと、赤ちゃんの腸の中から自然に消失してしまうものなのです。

     何故なのか、考えてみましょう。赤ちゃんがお乳の必要がなくなりますと、母体からのお乳の分泌も自然になくなります。ですから、赤ちゃんが仮に引き続きお乳を欲したとしても、飲めるはずがありません。牛や馬の子が、コンビニエンス・ストアーでミルクを買って飲むはずがありませんから。人間の赤ちゃんのみならず、全ての哺乳類の赤ちゃんを、常に脳裏に置いて、考えてみて下さい。

     でも、このままでは、やがて困ったことが起こります。次の赤ちゃんが生まれますと、お母さんからはまたお乳が出るようになります。もう離乳期を過ぎた上の子が、お乳が飲める状態のままなら、きっと赤ちゃんのための母乳を奪い取って、赤ちゃんは餓死するという悲劇が、必ず起こるに決まっています。

     そこで、この悲劇を回避するために、たぶん神様は、もうお乳が必要でなくなった子供には、お乳を飲めなくするために、ラクターゼを子供の腸から奪い取ってしまったのでしょう。全ての哺乳類の子供の腸から、このラクターゼは消失してしまうのです。

     これが、自然の摂理なのです。種族の保存と繁栄を図るための、素晴しい自然の智恵なのです。

    原則その4

    東南アジアの国にはないミルク料理
    風土と民族体質が獣類の乳を必要としませんでした。

    「この地球上には、猿の棲(す)める大陸と、猿の棲めない大陸がある」ということが何を意味するか。

     そして、猿の棲める地域に住み着いた民族は、その生理機能からみて理想とする穀菜食が可能であって、まことに幸せな民族であり、これに反して、猿の棲めない地域に住み着かざるを得なかった民族は、自然淘汰(とうた)の結果、その地域特性に順応し得る特異体質を獲得して生きのびたとしても、その生理機能から見た場合には、反理想的な食生活を余儀なくされた、気の毒な民族である、ということの認識の大切さを、次に提起しましょう。

     前者の代表的なのが、東南アジアの諸民族であり、後者の代表的なのが、アルプス以北のヨーロッパ人であります。

     東南アジアの各国には、牛乳を常飲するという習慣はありませんでした。何故なら、自然の摂理に従った、自給自足の食生活の中に、獣類の乳を必要としなかったからです。

     これらモンスーン地帯の各国の伝統的料理には、ミルクは一切使われておりません。日本料理にもなければ、朝鮮半島の料理にも、中華料理にも、ベトナム、タイの料理にも、牛乳を使った伝統料理はありません。これが、風土と、民族体質と、そして民族の歴史が物語る、自然の原則であり、摂理なのです。それは食文化の遅れでは決してありません。

    原則その5

    日本人と欧米人の体質は同じでない
    ミルクをゴクゴク飲む欧米人は原則外の体質保持者です。

     以上の原則にもかかわらず、欧米の白人種は、なぜミルクをゴクゴク飲むことができるのでしょうか。不思議ですね。不思議極まりないことです。

     人間としても、原則外の体質保持者であり、全哺乳類の中の、珍種中の珍種とさえ言えます。思いますに、ヨーロッパ特にアルプスより北の地域においては、穀菜食を可能にするだけの食材は得られず(だから猿が棲み着き得なかったのですが)、生きて行くためにやむなく主食にしたのは、鳥獣類の肉でした。

     もちろんその酸性を中和するだけの野菜類など、期待できない地域です。唯一の中和剤として手に入れることのできたアルカリ性食品は、獣類の乳しかなかったことでしょう。

     そこで肉食文化圏と乳食文化圏というものは、オーバーラップして成立したものと考えます。そしてそれに適応できる体質、即ち、離乳期を迎えることなく、大人になっても牛乳ガブガブが可能な体質の獲得者が、欧米の白人なのです。一部に砂漠周辺の遊牧民がおります。

     しかしそれは、自然の摂理という観点から見た場合、哺乳類としては、非常に異常な出来事なのです。

     人間の生理という観点からすれば、私達日本人の多くは、ノーマルな体質の人間であり、欧米の白人のほうがアブノーマルな体質の人間なのです。

    原則その6

    食の選択は体質を基本に
    民族体質と個人体質に合う食の質と量を考えましょう。

     牛乳や乳製品の摂取について、なぜノーマルな私達日本人が、アブノーマルな欧米人の真似(まね)をしなければならないのでしょう。まことにおかしなことです。

     それと言うのも、現代の栄養学が、食品の分析価値のみを重大視し、過大視して、それを食べる側の人間個々の体質というものを、全く無視して来たからに他なりません。大変な錯誤であり、重大な過失です。

     本来その過ちを正すべきは、人体生理や病理に詳しいはずの医学でなければならなかったのですが、学問の体系からすると、この部分が全く空白地帯のままに放置されて来たため、栄養学の過ちが訂正されないまま、今日を迎えたのです。

     たぶん多くの方は、医学の学習コースの中に、栄養学の講座が全くないなどということは、想像さえしていないと思いますが、これが厳然たる事実なのです。医学が、栄養学を軽視したのか、あるいは無視したのかは兎(と)も角として、軽視し無視しておきながら、現実には無批判にも栄養学の間違った理論を援用して、患者指導をしているところに、大きな問題があります。

     栄養学によりますと、牛乳は完全栄養だ、卵はプロテイン・スコアーの優等生だと、その食品価値を過大評価して、卵様は偉いもの、牛乳様も偉いもの、その偉い卵様や、牛乳様を、いやだ、きらいだと言って食べない子や、飲まない子には、悪い子の烙印(らくいん)を捺(お)して、懲罰まで加えて来たのが、従来の学校給食ではありませんか。本末顛倒(てんとう)もいいところです。

     食の選択は、まず、第一に民族体質を考慮すること、次に個人体質を考慮して、その人の体質に適応する質と量を考えて食物は摂(と)るべきものなのに、何と愚かなことが続いて来たことでしょう。食の選択は、人が主であって、あくまでも食は従でなければなりません。その逆を長年指導して来たのが厚生省であり、保健所なのです。 Aに良い食品だからと言って、必ずしもBに良いとは限りません。まして民族体質や、食文化の伝統を無視して来た牛乳礼賛など、万死に値する罪つくりとさえ断言してはばかりません。

    原則その7

    乳製品、卵の多食はオロカナ選択
    卵12倍、牛乳7倍の食生活が、子供の体質劣化を招いています。

     戦後、わが国の食生活がどれほど異常に変わって来たかを示す、貴重な資料があります。

     昭和16年に実施した東京と大阪の勤労者家計調査資料が残っていたのが幸いして、平成2年の全国の勤労者家計調査と比較することによって、その異常な変化が明瞭(めいりょう)になりました。これは平成3年10月に総務庁より発表された資料によるものであります。

     同年、東京新聞の10月23日の朝刊の1面トップに『イワシ激減、コメ3分の1』『卵12倍、牛乳7倍、牛肉3倍』と、その違いを印象付けておりました。さらに『食卓の洋風化くっきり』と、その特徴を強調しておました。

     主要食品の比較表によりますと、イワシはわずか8%とまさに激減、サツマイモは7%という情けない数値です。

     いかに誤った栄養指導のため、体質無視の好ましくない食生活の洋風化が促進されて来たかが、これらの数字でよく分かります。

     その結果はどうでしょうか。この発表に前後して、IOC委員の岡野俊一郎氏は、10月10日の産経新聞に「蝕(むしば」まれる子供の体」と題して、子供の世界にアレルギーの嵐(あらし)が吹き荒れている様子を報じ、体だけでなく『心の健康にも深い配慮を』と悲痛な呼び掛けをしております。

     私見によりますと、この卵12倍、牛乳7倍の食生活が、子供の体質劣化を招いている"張本人"だと断定してはばかりません。実に、オロカナ、おろかな、選択をして来たものです。

    原則その8

    カルシウム摂取は伝統食から
    カルシウムは小魚、海草から十分過ぎるほど摂ることができます。

     ラクターゼを消失している日本人にとっては、牛乳に含まれるカルシウムの吸収は(マーヴィン・ハリス著『食と文化の謎』(岩波書店刊によると)さほど期待できるものではありません。

     それに反して、わが国の伝統食の中には、吸収もよく、素晴しいカルシウム食品がいっぱいあります。それは、地上作物ではありません。火山列島のわが国の土には、カルシウムの含有量が少ないため、野菜などに含まれるカルシウムは期待できませんが、幸いにして海に囲まれた日本列島では、容易に手に入る、小魚と海草から、十分すぎるほどのカルシウムが摂取できるのです。

     私共は、わが国の伝統食を誇りをもって見直すことです乳製品は控えましょう

      

  • Posted by Ninja T at 21:00Comments(2)

    2010年05月08日

    ★美味しい芋焼酎★佐藤の白が飲める店★

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  • Posted by Ninja T at 10:47Comments(0)

    2010年05月07日

    ★美味しい芋焼酎★佐藤の黒が飲める店★

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  • Posted by Ninja T at 15:44Comments(0)

    2010年05月06日

    「高血圧は薬で下げるな!」

    ■[読書備忘録][医療関係]浜六郎 「高血圧は薬で下げるな!」
      [角川oneテーマ21 2005年9月10日初版]

     著者の浜氏は医師だが薬の副作用について長年とりくんでいる人で、つい最近もインフルエンザ治療薬であるタミフルの精神症状の問題をとりあげていた。

     それでタイトル通りの本であるが、薬で下げるな!というのが微妙で、高血圧はよほどでなければ下げなくてもいいという主張と、下げるメリットと降圧剤のデメリットをよく考えて治療を考えろという部分が入り混じっているので、主旨がわかりにくいものとなっている。

     内科外来の患者さんの相当数をしめる高血圧、高脂血症、糖尿病の患者さんのほとんどは症状がまずないから、治療効果の判定がきわめて難しい。というより診療をおこなっている個々の医師にとっては判定はほとんど困難である。その効果が判定できるのは5年先、10年先である。たとえば高血圧治療をしていた患者さんが脳梗塞になったとして、これが治療の失敗であるのか、それとも治療によって無治療であれば3年前におきていた病気を今日までおこさずに済んだのか、それも判定のしようがない。また高血圧でみていた患者さんが癌になった場合、その癌と高血圧治療に因果関係があるのかないのか、それもなんともいいようがない。すべては疫学的データによって判断するしかない。

     血圧は連続して変化していくものであるから、どこから高血圧症であると判定するかは人為的なものである。その根拠はどの位以上の血圧では合併症が増えてくるかである。たとえば拡張期血圧が95以上のひとでは年間千人あたり30人脳梗塞がおきるが、それ以下の人では15人であるというデータがあったとする。ということは95以上の人でも、970人には何もおきないわけである。一年間にであるから10年では300人ということになる。それでも700人にはなにもおきないことになる。それならその700人にあたる人には治療する意味がないということになるのだろうか? こういう議論には決着がつかない。なぜなら一人の人の人生は一回だけだからである。がんの手術をして5年生存率が95%ですといわれたとしても、5年後には生きているか、死んでいるかのどちらかである。シュレディンガーの猫ではないのだから、95%生きていて5%死んでいるなどという状態はない。手術が完璧にうまくいった直後に交通事故で死んでしまうこともある。あるいは明日大地震がおきるかもしれない。今痛みがあるのならば、明日世界が滅ぶとしても、今日治療する意味はある。しかし5年先、10年先をにらんだ治療には手ごたえがいたって乏しいのである。

     著者が問題にするのは、高血圧の治療ガイドラインが改定のたびに治療すべき血圧の指標が下方修正されていくことである。それまで160/95以上が「高血圧」とされていたが、2000年には60歳未満130/85、60歳~69歳140/90、70~80歳150/90、80歳以上160/90となった。2004年の改定では、65歳未満で130/85となった(65歳~75歳は140/90、75歳以上150/90)。

     1964年米国退役軍人病院での重症高血圧(拡張期115~129)のプラシーボをコントロールとした大規模調査では降圧剤の劇的な効果が示された。さらにもう少し軽症(拡張期90~114)の高血圧症でも降圧剤投与で合併症が劇的に減った。この二つの研究によって高血圧治療の有効性を誰も疑わなくなった。

     2000年改定のもとになった調査(HOT研究)では、最低血圧が低いほど心筋梗塞が少ないというデータが得られた。しかし総死亡率でみると推計学的に有意ではないものの(70%の危険率でしか有意ではない)血圧を下げるほど死亡率が高くなっていた。この研究は欧米でのものであり、日本では心筋梗塞がはるかに少ないことを考えると、このことは特に問題である。そもそも年齢が進むにしたがって血圧が上がっていくということは生理的適応という側面もあるのではないか? やみくもに高齢者でも血圧を厳重に管理することに意味があるのであろうか? 降圧剤には副作用もあるのだから

     日本では血圧のかんするダブルブランドコントロールスタディはほとんどない。唯一の研究は1992年のJATE研究であるが、これは血圧が高いものにプラセーボを投与することは非人道的であるといった医師の見解のため、十分な症例数が集まらず、途中で打ち切られてしまった。そのため症例数が少ないがデータが公表されているため解析可能である。その結果は死亡率、心疾患、脳卒中の発生率などに統計学的な差が認められなかった。一方、がんの発生率は投薬群のほうで高かった(使用した薬剤はCa拮抗剤で推計学的に有意)。

     「NIPPON研究」という14年間にわたる追跡調査がある。これは降圧剤の使用の有無、自立しているか否かが調査されている(死んだ人は自立していないほうに数える)。それによれば、拡張期血圧が140を超えると自立度が下がってくる。しかし降圧剤服用歴のないひとのほうがあるひとよりも自立率が高い。これは高齢者にとっては血圧が高いということは合目的的で生理適応的であることを示しているのではないだろうか?
     確かに160/95以上の血圧では総死亡率が増える。しかし、それを降圧治療をするとさらに死亡率は悪化する。

     ヨーロッパでは高齢者を対象としたプラシーボコントロールの研究がある。降圧剤使用群では心臓病と脳卒中は減っている。しかし死亡率は減っていない(推計学的に有意ではないが減ってはいる)。75歳以上では循環器系の死亡は減らず、80歳以上ではかえって増えている。一方フィンランドの研究では高血圧に介入すると脳梗塞は減った。しかし総死亡は増え、心筋梗塞も増えた。その後の継続調査でも介入群のほうが死亡率が高い。

     久山町での調査では140/90以上の人ではっきりと脳梗塞の発生率が増える。それはしかし多く60歳以下の人であり、若くして高血圧になった人の危険度は高いということはいえる。そういうことを勘案すると、60歳以上の人であれば180/100までの血圧は許容範囲なのではないだろうか?

     と、ここまではそれなりに著者の意見は筋が通っている。そこまでは述べられていないが若年の高血圧は“病気”であり治療対象であるが、高齢者の高血圧は“生理的変化”むしろ“積極的意義”があるものであってよほどのことがなければ治療しなくていいのではないかということは十分に検討に値する意見であると思う。ただここまでの展開でもデータの扱いが恣意的であるのが気になる。HOT研究では推計学的に有意でない死亡率の低下をとりあげ、ヨーロッパの高齢者の研究では推計学的に有意でないとして死亡率の低下をとりあげていない。自説の展開に有利であれば、推計学的に有意でなくても数字の変化に意味ありとし、不利であれば推計学的に有意でないとしてとりあげないというのは、著者の主張の信憑性をそこなうものである。

     ここからが迷走する。まず真の血圧とは何か?と問い、一時的な高血圧の恒常的な高血圧は違うから一度測って高かったからといってあわてて治療する必要はないと言う。深呼吸で血圧はすぐに下がるのだ。減塩、運動、ストレスの解消、十分な睡眠、バランスのとれた食事で様子を見ろ。体重の減少を図れ。とすると著者はやはり血圧は低いほうがいいと思っているのだろうか、それが段々とわからなくなる。ストレスによって血圧があがるのはストレスに対応するための身体の生理的反応であるとすれば、その時には高いほうがいいのではないだろうか? ストレスを避けた生活をせよということは、やはり血圧は高くないほうがいいと思っているのだろうか? ここらあたりから著者の主張は血圧はよほどでなければ下げないほうがいいから、薬によっては下げないほうがいいへとシフトしていくのである。

     そしてさらに譲歩して、治療するとしても、治療薬としては利尿剤、ACE阻害剤、β遮断剤を薦め、Ca拮抗剤、ARIの使用に反対する方向へと移っていく。段々と記述が変になってきて、ACE阻害剤の副作用である空咳について述べた部分「咳が出るおかげでウイルスなどの細菌をすばやく排出し、感染症を予防しているとも考えられます。ACE阻害剤が心不全でも寿命を延長させるのは、早く異物の存在に気づき排除できるためとも考えられ、軽い副作用はあったほうがかえって有利なことの典型かもしれません」などというのには笑ってしまった。「ウイルスなどの細菌」というのはいくらなんでも誤植ではないかと思うが、咳ばらいするだけで感染症の予防になるとこの人は本気で考えているのだろうか? どうもあばたも笑窪で、どんどんと論旨が強引になっていく。

     著者のいうように製薬会社の宣伝によって、本来治療の必要のない人までもが治療対象とされようとしているということは間違いないのであろうが、それを批判しようとする姿勢が空回りしてしまっている。
     手許にある「疫学ハンドブック」(南江堂1998年)を見てみた。これを見ても、重症あるいは中程度高血圧に関しては治療の効果が証明されているが、軽度の高血圧症にかんしては確実なデータは得られていないとしているようである。コレステロールにしても血圧にしても以前には治療不要とされていた状態が最近では要治療とされることが多くなってきている。これの背後には製薬会社の思惑があることは間違いないであろう。

     わたくし個人のことを考えても以前は漠然と160/100を高血圧の基準と考えていたように思うが最近では140/90を基準にするようになってきているように思う。いつの間にか知らないうちに洗脳されてきているのであろう。

     実は治療には本書で批判の対象になっているCa拮抗剤を用いることが多い。Ca拮抗剤が市場にでてきた時にその切れ味にびっくりしたというのがその大きな理由になっているように思う。それまでは利尿剤を用いても、交感神経遮断剤を用いてもなかなかよいコントロール状態にならない人が多かった。Ca拮抗剤の出現以降血圧のコントロール自体がうまくいかなくて困るという症例はほとんど経験しなくなった。

     そしてこのすぐに十分な降圧効果がえられるということが、患者さんの精神状態にもばかにならない効果があるのではないかと考えている。血圧で病院を受診するひとは健診で偶然指摘されてという人が多い。健診で指摘をされても全員が病院にくるわけではない。受診をするのは病気というものにナーヴァスであり、自分の健康状態に多大の関心をもっているそういうタイプの人である。健診で高血圧を指摘されることにより病気になってしまうのである。血圧の上下に一喜一憂してしまう。自分の身体状況をすべて血圧と結びつけて考えてしまう。そういう人が投薬を開始してもなかなか良好な血圧にならないと不安は増すばかりである。そういう人に効果の発現に時間がかかる利尿剤などはなかなか出す気にならない。早くいい血圧にして“患者さん”から“健康人”へと戻してあげたい。なにしろ何の症状もないのである。本当なら薬がいらないかもしれない人なのである。そういう人が早く病人状態を脱して血圧など気にせず普通の社会生活をおくってほしい、そのためには手っ取り早くいいコントロール状態にもっていきたい、そうするとCa拮抗剤はいい薬である。

     もう一方には血圧も怖いが薬も怖いというタイプの人がいる。どういうわけか血圧の薬は飲み始めたら一生という神話がある。血圧も怖いが、薬も怖い。そういう患者さんは外来で悩みに悩む。150/90という血圧も怖いが、薬の副作用も怖い、飲むべきか飲まざるべきかそれが問題だということになる。
    こちらはもう少し様子をみてもいいなと思っているから、患者さん?が薬はのみたくないといえば、「ではもう少し経過を見ましょう」という。
    そうすると、「でも、先生、ほうっておいて大丈夫ですか?」という。
    「血圧の治療目的は将来の合併症予防ですから、一月くらい様子をみてもどうってことないですよ」というと、「一月の間に、脳の血管がパンとはじけるなんてことはないですよね」という。
    「それは100%ないと思いますが、不安でもいけませんから薬使います?」
    「どんな副作用がありますか?」
    「副作用のない薬はないですが、この薬は・・・」
    「やっぱり怖いな」「じゃあ、様子みます?」
    「脳の血管が・・・」(以下、繰り返し)。
    こういう患者さんに薬を使って、それでも下がらなかったら大変である。自分は薬も効かない大変な重症患者だと思い込んでしまう。本来、血圧の治療は長い先の健康状態に配慮しておこなうもののはずであるが、実際には現在の精神状態の安定のためにしているようなことになってしまう。血圧というのがあらゆる健康状態のバロメーターであると思い込んでいるひとが結構多くて、血圧は血圧だけの問題でなくなってしまうのである。

     浜氏のいっているのは狭義の血圧治療の問題であって、日常臨床はなかなかそれだけではすまない。つまり問題の根底には、“健康シンドローム”とでもよぶべき《過度の?》健康への関心があり、現在の明らかに過剰な薬物使用の大きな原因となっている可能性が高い。そこをなんとかしないと、血圧の疫学だけではどうにもならないように思う。

     定年すぎたら話題は年金と血圧などという状態である限り、本来は必要のない薬でも使われ続けてしまうのではないだろうか? 最近、もはや資本主義を駆動できるような本当に新しい商品はない、携帯電話が最後の大型商品である、といった議論がある。ところが、医療の世界では無限に人為的に需要を産生できる。病気の定義を医療者の側が変更すればいいのだから。しかし、もっといい手がある。患者さんの側の健康不安を煽ればいいのである。自然に病人が増えてくる。そうだとしたら、“健康シンドローム”は製薬会社をふくめた医療業界が密かに煽っているのだろうか? どうもそうではないような気がする。患者さんの側が勝手に転んでいるというか、そういう方面にしか関心がないひとが増えてきている。どうも、狭義の医療を超えた人間の生き方自体が変わらない限りどうしようもないのではないように思う。



    (2006年4月1日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)
      

  • Posted by Ninja T at 21:33Comments(2)健康一番

    2010年05月01日

    ★美味しい麦焼酎★おこげの飲めるお店★

    ★老松酒造のおこげは、【特約店限定流通品】です。
    原料麦に大麦と、はだか麦を使用し、麦麹(黒麹)で常圧蒸留で醸されました!!
    煎蕉(せんしょう)仕込みゆえ、香ばしさも、さらに増しています。

    ※煎蕉仕込みとは・・・・麦を焦がしたものを煎じて、その美味しさと香りを抽出する仕込み方法の事です。
    モロミの発酵に応じた、適度な抽出時間と温度管理が、長年の蔵人の技と勘です。

    ■おこげはとても香ばしく旨い!!

    飲みたい気持ちをおさえ、まず香りを楽しんでみると、沸かしたての麦茶のような少しホットする懐かしい香ばしさ。

    口に含むと香りが変化し、ほど良い甘味と共に、麦麦しく大変香ばしい香りが口の中いっぱいに広がります!

    口当たりはとても円やか系!濃い麦焼酎のなかでも口当たりもよく、麦の香味をダイレクトに、十二分に楽しませてくれます!!

    ぜひロックでお楽しみ下さい!!

    ★お店の地図はこちら

    おこげは常時置いてあり、1杯700円で飲めます^^!

    ボトルキープも出来ます。

    是非、一度お試しください。

    老松酒造はこちら
    http://www.oimatsu.com/

    ★その他にも、森伊蔵1杯1200円、佐藤の黒1杯800円、百年の孤独1杯1000円とリーズナブルなお値段で飲めます^^。

    ★お店のHPはこちら
    http://chofu.com/yumeakari2004/

      

  • Posted by Ninja T at 20:48Comments(0)